第7回:『10番街の殺人』 リチャード・フライシャー監督 1971年


 2016年は、リチャード・フライシャー監督の生誕100年の記念の年だったのに、私の知る範囲(狭いけど)では、どこの映画館でも特集上映などはありませんでした。ただ、復刻シネマライブラリーから、『ラスト・ラン 殺しの一匹狼』のDVDが出たので、留飲を下げた私。

 フライシャーは、実に多くのジャンルの映画を撮った人です。戦争ものでも、SFでも、偉人ものでも何でも。なかでも「実録犯罪もの」は、得意としていたジャンルだったかもしれません。

 1940年代のロンドンで起きた事件を題材にした『10番街の殺人』は、フライシャーが撮った「実録犯罪もの」のなかでも、特に不気味な作品です。

 リチャード・アッテンボロー演じる主人公のクリスティーは、人を殺さずにはいられない性(さが)を背負った中年(初老?)の男です。といっても、武器を振り回すマッチョな奴というわけではなく、どちらかというと神経質で気弱そうなキャラです。家にやってきた女性を、部屋の中で殺して庭に埋め、何食わぬ顔して日常に戻ります。しばらくすると、また殺したくなってくるようです。それで、次の「獲物」を待つ。そういうとんでもない殺人鬼なわけですけど、観ているうちに、なぜか、だんだんこのクリスティーに感情移入してしまうのです。この作品が不気味だといったのはその点です。

 観ている私としては、別に人を殺したいなんて思ったことはないわけです(本当ですよ)。でもなぜか、クリスティーの気持ちが伝わるんです。バレたくない、でも殺したいというクリスティーの気持ちが、自分の気持ちと一体化してきます。それは、不謹慎な話ですが、家族にバレないようにオナニーを繰り返した中学生の時の気持ちを思い起こさせます。殺人をオナニーと同じというのかお前は、と怒られるかもしれませんが、ちょっときいてくだい。共通項は「バレたくないけど止められない行為」です。フライシャーは、クリスティーの、淡々と、コソコソと「行為」に及ぶ様を念入りに描写することで、こっちの「その種」の記憶を揺り起こすのです。それを意図しているとしか思えない。そしてそれがクリスティーの気持ちと一体化します。結果、自分の犯罪がバレるのを恐れる殺人鬼になったような気持ちにさせられるのです。次の殺人をやめることもできません。被害者の身になって考えることはできません。主人公は殺人鬼のほうなんですから。

 この背筋の寒くなるような不気味さは、同じ「実録犯罪もの」の傑作『絞殺魔』にもないものです。どの程度のものか、観れば(分かる人には)分かると思います。まあ、無理に観ないほうがいいかもしれませんが。



村木豊
(2017年4月17日掲載)


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