第24回:『パラダイスの夕暮れ』 アキ・カウリスマキ監督 1986年


 ここのところ、「大人買い」しておいたアキ・カウリスマキ監督のブルーレイボックスをふたつとも開けて、「ひとりカウリスマキ映画祭」を開催しているのですが、それで分かったことは、カウリスマキの映画であればなんでもかんでも面白いというわけではないということでした。それまでは、ほとんど全部面白いと思っていたんですけどね。どんな内容か知らないまま、初めて映画館でその映画を観るというのと、以前観た映画をタブレット片手に家でダラダラ観るというのでは、感動の度合いが違うということはあるとは思います。しかし、そうやってダラダラ観なおしたものでもよいものはよいのです。例えば、「労働者三部作」の第一作目『パラダイスの夕暮れ』は傑作といってよいでしょう。

 カウリスマキの映画のパターンのひとつに、「幸せになろうと奮闘する社会の底辺の人たちの話」というのがあります。どんなにひどい目に遭っても、仕事をクビになっても、異性に振られても、自分はいずれ幸せになるものだと、多分、登場人物たちは楽観的に思っているのです。ここでいう幸せとは、恋人ができるとか、生活がうまくいくとかそういうごく単純なことです。

『パラダイスの夕暮れ』のカップルも、典型的なそのパターンです。観ている人のほとんどは、不幸でいるよりは幸せになりたいと思っているでしょう。その人たちが、主人公たちの、ドツボから抜け出そうとする姿勢に影響され、自分も彼らのように構えていれば幸せになれるんじゃないか、そのままずっと幸せが続くんじゃないかと錯覚するのです。その錯覚の心地よさが、この映画が観る側にもたらす最大の恩恵といえるのです(なんか思考停止に陥っているみたいでちょっとアブナイですけど)。なんだ、錯覚かと思われるかもしれませんが、自分はできるんだと錯覚することが、意外と幸せになる秘訣なのかもしれないではありませんか。

 映画の主人公たちが、必要最小限のセリフで、物事を即断即決でどんどん進めていくところは、とにかく「スカッ」としますよね。超人的に「話が早い」わけです。目的を果たすためにはウダウダとためらっていてはダメなのだというのがカウリスマキの考えなのでしょう。この「話の早さ」こそが、カウリスマキの映画のひとつの強みなのではないかと私は思っているのです。

「ひとりカウリスマキ映画祭」はまだ続くのですが(どうでもいいですかね)、はたして『パラダイスの夕暮れ』を超す傑作はあるのでしょうか。次は何を観ようかな。


村木豊
(2017年8月28日掲載)



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