第23回:『キャタピラー』 若松孝二監督 2010年


 2010年に、若松孝二監督は反戦映画『キャタピラー』を発表し、戦争のバカバカしさを世に訴えました。それは、第二次世界大戦中、四肢と聴覚、言葉を失って村に帰ってきた軍人・久蔵(四肢がないからキャタピラー=芋虫なのです)が、生きていること自体に苦悶しながら、自分がかつて虐げてきた妻・シゲ子の介護に頼って暮らすという強烈なものでした。

 介護とはすなわち食事の世話、排泄の世話、それからセックスです。シゲ子にとって、四肢を失ってまで国のために尽くした「軍神」久蔵の世話をするのが銃後の妻の役目なのだという、周りからのプレッシャーもあるわけですね。それで、めんどくさそうにセックスします。一方、久蔵の人生にはもはや食事とセックスしか残っていません。あとは、国からもらった勲章にすがるしかないというのも哀れです(自分をそんな姿にしたのは、国が始めたバカな戦争が原因なのにね)。

 しかも久蔵は単なる被害者ではありません。戦場で、中国の女性を強姦し、殺害してきた加害者でもあるのです。そのことは村の誰も知りません。平凡な反戦映画であれば、主人公が単なる戦争の被害者として描かれて終わることもあるでしょう。しかしこの映画は、戦争が人間を容易に最低の犯罪の加害者にしうるものであることを描きます。体の自由を失った久蔵は、自分の犯した罪を思い出すことによって、次第にその精神をも蝕まれ始めます。こんな目には絶対に遭いたくないですよ。

 この映画が公開されてから7年経った現在、安倍政権によって、日本は戦後最大の危機に瀕しています。民主主義と平和を憎む安倍晋三は、憲法を壊し、日本を戦争のできる国にしようと目論んでいます。平和主義を掲げた憲法を、安倍はみっともないと言い放ちましたが、平和を愛することがみっともないというのは、チンピラの考え方です。いや、戦争が始まっても自分は戦場に行かないわけですから、チンピラと同じといってはチンピラに失礼か。まさに最低のクズ野郎です。

 もし、改憲国民投票が行われたら、とるべき道はひとつ、全ての改憲案にひとつ残らず徹底的に反対することです。どんなに良さそうに見えても、どこかに罠が隠されていると思ったほうがいいです。特に、事実上の独裁を意味する緊急事態条項を与えてしまったら、日本は終わります。安倍は好き勝手にやるに決まっています。

 若松監督が生きていたら、今日のこの状況をさぞ嘆いたでしょう。『キャタピラー』は、権力の暴走を許してはいけないという若松監督の警告であり、今こそ観る価値がある映画なのです。もちろん、無理にとはいいません。


村木豊
(2017年8月17日掲載)



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