第21回:『妄想少女オタク系』 堀禎一監督 2007年


 別に、血なまぐさい事件や事故が起こるわけでもないのに、この映画には独特の緊張感があります。主人公のBL(ボーイズラブ)好きオタク女子留美は、学校一のイケメン千葉君と、彼と仲が良すぎる阿部君がデキているんじゃないかと妄想しています。それで、千葉君と阿部君をモデルにしたBLのイラストを描いて、千葉君に渡してしまう。BL好きなんて、普通、男子には黙っているでしょう。しかし留美はあっけらかんとしていて、千葉君も「上手いじゃん」で終わりです。「キモチわる」とか「話しかけんじゃねえよ」で完結してしまうような嫌な奴(現実の社会ではそれが多数なんですが)は、ただの一人も出てこないのです。こっちはそうとは知らないから、いつ留美が面と向かって人格を否定されてしまうのか、ハラハラしながら観ている。それこそが緊張感の正体なのですが、結局、最後まで本格的に否定されることはありません。

 あるいは、千葉君に恋をするゲイの先輩が、千葉君に「気持ち悪いんだよ」とか言われて、一瞬緊張が走るのですが、後で千葉君が謝罪して、先輩もそれを許す。ここでも、お互いを否定し合うことはありません。登場人物たちは、喧嘩していたはずなのに、いつの間にか(仲直りしたわけでもないのに)仲が戻っていたり、友情に深刻な亀裂が入ったと観ている側が思っても、案外そうでもなかったり、どんなことがあっても、人格否定したままで終わったりしないのです。それが、緊張していた観客に、結果的に言いようのない安堵をもたらします。

 どんな趣味を持っていようと、理解できなかろうと、さっきまで喧嘩していようと、その人のことをとにかく認めるというのは結構難しい。それを、この映画の登場人物たちはいとも簡単にやっているのです。それは、ほとんどファンタジーのような包容力です。

 BL好きとか、同性愛者とか、趣味や性的指向によって、普通の社会の「常識」のある人たちから否定されたり、隠されてしまうような人間たちが、この映画では、堂々と高校生活を楽しんでいる。堀監督が、今まで映画を撮ってきて一番面白かったと語った通り、この「隠されてしまう人たち」の映画はとても痛快です。「常識」のある普通の人たちを挑発するようなその作風は、おのずと反体制的な性質を帯びます。趣味や性的指向によってはなかなか堂々としづらい社会の風潮に、この映画ははっきりと対峙しているのです。

 まあ、BLは隠れてコソコソ見るのもので、堂々としてどうするんだという人もいると思いますけど。


村木豊
(2017年8月7日掲載)



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