第16回:『蝶採り』 オタール・イオセリアーニ監督 1992年


 もう10年くらい前ですが、『月曜日に乾杯!』という映画を観た時、「何が月曜日に乾杯だ、のんきなこと言ってんじゃねえぞ」みたいな感じで反発し、それ以来、イオセリアーニの映画をしばらく遠ざけていました。心狭いですね。

 それで、去年だったか、最新作『皆さま、ごきげんよう』の公開記念で、アテネ・フランセ文化センターがイオセリアーニの特集上映を催したのです。そこで、何となくわだかまり(大げさ)も解けていたというか、「もういいか」という気がして『月の寵児たち』という映画を観に行きました。どういう映画だったのか、あんまり覚えていないので詳しく書けませんが、たしか爆弾を渡すか売るかしている奴が、受け取ろうとしている奴らに「このボタンは押すな」だったか「爆破スイッチだ」とか言って、言われたほうは「これ?」とかいう感じでリモコンのボタンを押す。で、爆弾持ってた仲間が吹っ飛ぶという、ある意味ベタなギャグを淡々とやってて、たったそれだけのことがすごく面白くて、単純にも、イオセリアーニの映画に対する偏見が消えたのです。そんなわけで、中古DVD屋で『蝶採り』を見つけた時も、ちょっと高かったけど買いました。

 『蝶採り』の舞台は、色んな民族が入り乱れて暮らす変な村です。中心には古城があって、そこに主人公のおばあさんと、そのいとこのおばあさんが住んでいます。登場人物は皆一応平和に暮らしているのですが、あまり笑顔を見せません。しかも、それを引きの画で淡々と見せます。キャラクターに感情移入できるような状況ではありません。イオセリアーニは何をやろうとしているのでしょうか。それは、古城を買いに来た日本人のビジネスマンたち(バブルの頃です)が現れてから、だんだん明らかになっていきます。

 日本人たちは、村の住人たちとは異質の存在です。城を売ってくれと言われた主人公のおばあさんは、また来たかと言って怒って追い返しますが、日本人は、何年でも待つから持ち主のいとこが死んだら売ってくれと言って去っていきます。近くにいた村人たちは、占領されるなどと言っています。これはもう、村にとって明らかに「敵」なわけです。果たして、いとこは死にます。そして日本人という「敵」に、村はなす術もなく敗れます。平和だった村は、バブルに飲み込まれて変貌してしまうのです。しかしイオセリアーニは、観ている側に、村のキャラクターに感情移入させないことによって、村の悲劇をすんなりと諦めさせます。世の中そんなもんだというイオセリアーニに対し、そうか、そんなもんかと変に納得してしまうのです。観ている側の同情を買うようなことは、イオセリアーニのダンディズムに反するのだと思います。

 安倍政権にいいようにやられている今の日本の状況は、この村どころじゃありませんけどね。



村木豊
(2017年6月19日掲載)



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