第13回:『クーリンチェ少年殺人事件』 エドワード・ヤン監督 1991年


 私にとって、この上映時間3時間56分になる映画との出会いは、少し不幸なものでした。新宿武蔵野館で、4Kレストア・デジタルリマスター版(何のことか分かりませんが)で25年ぶりに蘇る伝説の傑作とうたったこの映画のチラシを見つけた時、『恐怖分子』に心を打たれた者としては、絶対観なければいけないと思ったわけです。それで、めちゃくちゃ混んでる武蔵野館に行きました。何が不幸かというと、隣の席の男性客の鼻息がとにかく荒いのです。ほとんどイビキ。こういう時、スカスカの映画館であればすぐさま移動できるのですが、満席なのでそうもいきません。つらいところですね。

 映画の舞台は、1960年代初頭、戒厳令下の台湾・台北。監督のエドワード・ヤンと同世代で、同じ学校に通っていた不良少年が起こしたショッキングな犯罪を題材にしています。そこに至るまでにも、不良少年たちのグループの間でいくつかの事件が起こります。そのいくつかの事件というのが本当にあった話なのかは知りませんが。少年たちの日常は、戒厳令に怯える大人たちの社会の影響下にあるようです。これはいつか映画にしようと思ってたんでしょうか。公式パンフレットによると、1986年の『恐怖分子』で成功し、製作会社を設立したエドワード・ヤンは、いよいよこの作品に着手するわけですが、その方針は、基本的に前作と変わらないように私は感じます。「遠くから眺める」ようなスタンスです。

 登場人物は基本的に離れたところから撮影しています。人物の位置関係とか、今いる場所を示すことを優先させているのでしょうか。また、人物の表情を排する意図があるのかもしれません。撮りたいのは事件や事態の進展であって、その時、人物がどういう顔をするのかは監督にもよく分からないし、分からないものを想像で撮るわけにはいかないということではないかと私は勝手に考えます。結局、人物の気持ちは、例外的なシーンを除けば、事態が進展した後に、観客が勝手に察するしかないのです。それは、いつ何が起こるか分からないという緊張を、観客が強いられるということでもあります。事件は、ほとんど何の前触れもなく唐突に起こるのです。主人公と、彼が恋慕する少女との関係も、どう転ぶか分かりません。私はいつの間にか、隣の人の鼻息のことをしばらく忘れて見入っていました。

 エドワード・ヤンは、罪を犯した同世代の彼を擁護するわけではありません。だからといって、無下に突き放すこともしません。「遠くから眺め」つつも、主人公の激情を活写したのは、エドワード・ヤンが彼にいくばくかの同情を抱いていたからではないでしょうか。それは、台湾の苦難の歴史を検証することとは別の、もうひとつの「撮りたかったもの」なのだろうと私には思われます。



村木豊
(2017年5月29日掲載)



戻る

当ウェブサイトに掲載されている記事や画像の無断転載・転用を固く禁じます。
Operated by 株式会社池田企画