第12回:『ヤンヤン 夏の想い出』 エドワード・ヤン監督 2000年


 引きの画や、ウエストアップ(腰から上の画)を駆使し、人物の表情をクローズアップしない手法を、エドワード・ヤンは用います。人物が今どんな感情なのか、説明するのを拒否しているようにも思えます。

 何の話なのかも、最初はいまいち判然としません。群像劇なのですが、それぞれが結婚したり、初恋の人と再会したり、仕事関係の人と出会ったりしているだけで、それ以外何も起こらないし、ヤマ場もありません。8才のヤンヤンも、ウロウロしているだけです。いったい、これから何が起こるというのでしょうか?

 登場人物たちを待っているのは、いくつかの「別れ」です。2時間を超える「前フリ」の後に、突然カタストロフィーが訪れます。そこで、人物たちはそれぞれ色んな感情を抱くはずです。しかし、カメラは人物の「顔」=「表情」をクローズアップしません。確かに、人物は泣いてはいるのです。ただ、泣いているという情報だけを観ている側に提示し、演技はあまり見せてはくれません。この映画において、登場人物の感情は、おそらく秘められるべきものなのです。(高校生を含む)大人たちがあまり見せない感情は、何も知らないような顔をしていた「主人公」ヤンヤンが後で代弁してくれるだけです(私が勝手にそう思っているだけですけど)。

 エドワード・ヤンは、大人たちの「別れの美学」を愛したのでしょう。彼らは、美学ゆえに、「その時」に際し、大っぴらに未練がましくしたり、駄々をこねたりするわけにはいかないのです。だから、この映画にはヤンヤンが必要だったわけです。人生に別れはつきものだから、そこにいつまでもこだわり続けるわけにはいかないのだということを、エドワード・ヤンは、遺作となってしまったこの映画で言おうとしたのだと思います。



村木豊
(2017年5月22日掲載)



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